テキサス・サマーズミル牧場にて
シャツを… 交換…今は私の宝物

私がSMIプログラムに出逢ったのは1985年の春、新潟駅南口のプラーカ3の商業ビルの仕事での事でした。 そのエピソードは後に語るとして、私はこんな凄い人生成功のプログラムがこの世の中に存在するのか!と驚嘆から始まりました。 そして、いつの間にかこのプログラムを使い、このプログラムを売る人になり、SMIの組織の一員となっていったのです。 そこに迷いや壁は一切なく、壁があったとしたら当時お金が無かった事くらいです。 ごく自然な流れだった事も今は驚きの事実です。

そして、SMIプログラムのセールス代理店のSRとして3年セールス活動の後、1988年10月25日にサクセス・マネジメント新潟を設立し、法人の代表としてSMIプログラムの普及活動を本格的に開始しました。その翌年の業績でクラス優勝をして、1990年4月にケイマンアイランドでポール.Jマイヤーと会い、8日間一緒に過ごすチャンスを与えて貰ったのです。その時私は丁度40才の誕生日を迎えた翌月でした。

ケイマンアイランドのマイヤー邸にて
マイヤーさん夫妻と
ケイマンアイランドにて

今でもはっきり覚えています。ポール.Jマイヤーが所有するサマーズミル牧場で、200人もいるビジターを牧場のパーティー会場の入口で、一人ひとりに握手し迎え入れてくれていて、丁度私の順番の時に、彼は一瞬手を止めて、少し考えるポーズをして、『MARUYAMA‐SAN』と日本語で私の名前を呼んでくれたのです。その一瞬は驚きの一瞬であり、私も一瞬で天にも昇る気持ちになり、心が真っ白というよりピンクに、真っ赤になってしまいました。あのポール.Jマイヤーが私の名前を覚えていてくれて、呼んでくれたのです!

マイヤーさん夫妻と
ケイマンアイランドにて
おどけるマイヤーさん
マイヤーさん家の私の写真

その時から、ポール.Jマイヤーのマジックに掛かった様に、SMIの仕事にのめり込んで行ったのです。私はマイヤーさんの別荘での生活ぶり、オフィスでの仕事ぶり、遊びぶり、家での亭主ぶりの全てを真似するがごとく、する事の大小はあっても考え方、スタイル、行動等々を真似し、見本にし、そして習慣にしてきたつもりです。

マイヤーさんが働き始めた頃、トレーラーハウスを買って『マイヤー邸』として、未来のマイヤー邸のイメージを膨らませた事を本で読んで知ると、即、女房と二人で日本でアメリカ製のトレーラーハウスを扱っているバイヤーの所に飛んで行き、写真を撮って会社に貼り、毎日ビジュアライズして、3年後の1997年の夏に、福島県との県境の津川町に『ビバリーヒルズ』と名付けたトレーラーハウスを、10坪のテラスと露天風呂付で別荘第一号として設置しました。勿論、その前に1994年には社屋を建てる目標も達成していました。その後も、別荘第二号のログハウスを『キャンプデービット』という名前で、新潟市の海沿いの松林の中に建てる等、小さいながらもマイヤーさんの物真似をして来ています!

マイヤーさんの遺品の名車 一人になってしまったジェーンさんと
マウイにて

場所も違い、スケールも違い、色々と違いは多くあるけれど、出来るだけマイヤーさんに近づきたいと考え、プログラムを聴き、行動計画を書き、実行して来た事によって、63歳の私の今が形成されて来たのだと思います。

2009年の4月にマイヤーさんは、SMI50年の歴史上初の『コミュニケーター・オブ・イヤー』という世界大賞を創設して、私に与えてくれました。 そして私に65歳までSMIで仕事をするよう依頼し、約束を取り付け、同年10月20日にこの世を去って行きました。

今はマイヤーさんの遺言の履行を、約束を守る為の行動をして65歳まで続けるつもりです。 そして時間を見つけては女房と二人で、二週間単位で、年に2回~3回のクルージングを楽しみ、人生を楽しみつつ過ごしています。こんな事が出来る様になったのも、SMIに出会い、マイヤーさんと出逢った事からのスタートでした!

マイヤーさんは私の人生の師匠です。

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